駒沢給水塔について
駒沢給水塔の歴史
渋谷区は知ってるけれど、渋谷町って一体?と首を傾げる人もいらっしゃるのでは。実は、大正時代、今の渋谷区は東京府豊玉郡渋谷町と呼ばれていました。
その渋谷町は大正の初期からどんどん発展し、人口が増加するにつれて井戸水が枯れたり水質が悪くなったりして飲料水が不足し、町営水道の創設が待ち望まれるようになりました。
大正6(1917)年10月
人々が待ち望んだ水道を渋谷町が単独で敷設することが決まり、さっそく実施計画に取りかかりました。その内容は下に書いたようなものです。
「水源は多摩川とし、当時の「東京府北多摩郡砧村字鎌田地先」の多摩川の川底に「集水埋渠(しゅうすいまいきょ)」という装置を構築して取水します。これは多摩川の川底を流れる伏流水(地下水)を採るしくみです。採った水は、同河畔の砧浄水場(現在の砧下浄水所)で濾過した後、ポンプで東京府荏原郡駒沢村字新町に設置した駒沢給水

駒沢給水塔について
駒沢給水塔の歴史
渋谷区は知ってるけれど、渋谷町って一体?と首を傾げる人もいらっしゃるのでは。実は、大正時代、今の渋谷区は東京府豊玉郡渋谷町と呼ばれていました。
その渋谷町は大正の初期からどんどん発展し、人口が増加するにつれて井戸水が枯れたり水質が悪くなったりして飲料水が不足し、町営水道の創設が待ち望まれるようになりました。
大正6(1917)年10月
人々が待ち望んだ水道を渋谷町が単独で敷設することが決まり、さっそく実施計画に取りかかりました。その内容は下に書いたようなものです。
「水源は多摩川とし、当時の「東京府北多摩郡砧村字鎌田地先」の多摩川の川底に「集水埋渠(しゅうすいまいきょ)」という装置を構築して取水します。これは多摩川の川底を流れる伏流水(地下水)を採るしくみです。採った水は、同河畔の砧浄水場(現在の砧下浄水所)で濾過した後、ポンプで東京府荏原郡駒沢村字新町に設置した駒沢給水
