駒沢給水塔について About KOMAZAWA WATER TOWERS

駒沢給水塔とは

1900年台初頭からの東京の人口急増に伴い、当時の渋谷町(現・渋谷区)は生活用水を確保するために町営水道の敷設に着手することを決め、1921(大正10)年、国の認可事業として大規模な工事計画が着工されました。

この工事計画を手がけ、陣頭指揮をとったのは、水道事業計画の権威であった中島鋭治博士で、多摩川の伏流水を水源とし、砧村(世田谷区砧)に浄水場を設け、送水ポンプの動力で駒沢給水所まで水を押し上げたのち 世田谷を横断し渋谷へ至るまでの送水は重力を活かした自然落下で送水を行えるようにするため、高さのある給水塔を建設するという仕組みが考案されたのです。

工事期間中、1923(大正12)年の関東大震災が起きたにもかかわらず、堅牢な建築計画に支障はなく、逆にその設計の緻密さは高い評価につながり、こうして1924(大正13)年に全工事を完了し、竣工しました。

同一の建築で建てられた二つの塔をトラス橋で繋ぎ、王冠のようなデザインを持つ塔と橋の上には装飾灯が付けられ、単なる水道施設以上の美しい建造物として完成したのは、中島博士がヨーロッパで広く見識を広めたことの現れでありましょう。

土木建築の中にデザイン性を取り込んだ駒沢給水塔は、21世紀の今もこの名建築を当時のまま目にすることができる貴重なものです。

2002(平成14)年、「給水塔のある風景」は、世田谷区の地域風景資産となりました。

さらに、2011(平成23)年の東日本大震災後に行われた耐震性の詳細な調査によっても全く問題はなく、2012(平成24)年秋には、社団法人・土木学会より「推奨土木遺産」として認定を受けました。

構内には、給水塔だけでなく、1933(昭和8)年に増設された排水ポンプ室もあり、水道施設以外の庭園や記念塔など多くの歴史あるものも残されています。

そして、駒沢給水所は、今なお震災時の緊急給水拠点としての役割を担う大切な水道施設*でもあるのです。

*東京都の「災害時給水ステーション(給水拠点)」であり、現役インフラ施設のため、現在 一般公開はされていません

駒沢給水塔が三塔構成になった場合の想像図(CG作成は会員の山本淳氏)

あゆみ

渋谷町の水道事業(1917~1932)

渋谷区は知ってるけれど、渋谷町って一体?と首を傾げる人もいらっしゃるのでは。実は、大正時代、今の渋谷区は東京府豊玉郡渋谷町と呼ばれていました。
その渋谷町は大正の初期からどんどん発展し、人口が増加するにつれて井戸水が枯れたり水質が悪くなったりして飲料水が不足し、町営水道の創設が待ち望まれるようになりました。

大正6(1917)年10月

人々が待ち望んだ水道を渋谷町が単独で敷設することが決まり、さっそく実施計画に取りかかりました。その内容は下に書いたようなものです。
「水源は多摩川とし、当時の「東京府北多摩郡砧村字鎌田地先」の多摩川の川底に「集水埋渠(しゅうすいまいきょ)」という装置を構築して取水します。これは多摩川の川底を流れる伏流水(地下水)を採るしくみです。採った水は、同河畔の砧浄水場(現在の砧下浄水所)で濾過した後、ポンプで東京府荏原郡駒沢村字新町に設置した駒沢給水場内の給水塔に送られ、給水塔からは渋谷町の町内に自然流下で配水します。給水区域は渋谷町全域とし、給水量は一人一日最大約110リットルになります。」
about_02.※ちなみに、計画給水人口は、第1期給水予定人口が15万人、第2期給水予定人口が20万人だったそうです。

現在の砧下浄水所

大正10(1921)年5月

多摩川の河畔で起工式が行われました。

大正12(1923)年3月

第2号給水塔(北側)が完成します。(なぜか2号棟が先に完成)

竣工直前の2号塔(大正12年)

大正12(1923)年5月

早くも町内の一部に給水を開始します。給水申し込みが殺到しました。

大正12(1923)年

量水室を建設し、英国製ヴェンチュリーメーターを設置しました。これで、渋谷への送水量を計測できるようになりました。

大正12(1923)年9月

かの関東大震災が発生します。給水塔に被害はありませんでした。その反面、大震災による井戸の破壊や井戸水の枯渇、混濁などで、給水の申し込みが一層増加しました。

大正12(1923)年11月

震災からわずか2ヶ月後、第1号給水塔(南側)が完成しました。

大正13(1924)年3月

1号塔と2号塔がトラス橋で結ばれ、ここに全工事が終了し、現在と同じ風景が出現しました。また、時の内務大臣水野練太郎氏筆の銘板を、それぞれの塔にはめ込みました。1号塔には『清冽如鑑』。2号塔には『滾々不盡』。この月の14日、駒沢給水場で盛大な竣工式が行われました。

清冽如鑑
滾々不盡

昭和2(1927)年3月

構内に水道敷設記念碑が建立されました。碑文には、当時の渋谷町々長である藤田信次郎氏による駒沢給水場敷設の経緯が詳細に銅板に刻れています。記念碑と同時に、獅子頭の注水口を持った洋式方円池と、雪見灯籠を添えた和風心字池もつくられました。

雪見灯籠のある心字池
野菜畑の中に立つ給水塔(昭和2年)

昭和6(1931)年3月

大震災のために渋谷町へ流入する人口の増加や多摩川の大量砂利採取による環境の変化などで、第1期の拡張工事が着工されました。

○砧下の集水井は240m下流に移動。
○駒沢に配水池とポンプ所の建設が始まりました。ポンプ所の設計は岩崎富久氏。

昭和7(1932)年10月

拡張工事途中、渋谷町水道は東京市域拡張のため、東京市水道局に移管されます。(東京市は35区となりました)

東京市水道局へ移管以後(1933~現在)

昭和8年(1933)3月

第1期拡張工事が完了し、給水場構内の配水池とポンプ所も完成しました。

昭和13(1938)年

駒沢給水場の第2期拡張計画が決定されましたが、未着工のまま終戦(1945)となり、中止が決定しました。

昭和18(1943)年10月

都政が施行され、水道事業が都営となりました。

昭和20(1945)年

空襲に再三遭遇しましたが、施設の被害はありませんでした。

昭和40(1965)年

水の供給能力をアップするため、第2ポンプ所を建設しました。

平成元(1989)年

56年間稼働した第1ポンプ所がその役目を終えて停止しました。

平成11(1999)年

34年間稼働した第2ポンプ所も停止し、給水所としての機能も停止になりました。

平成14(2002)年

昭和2年建立の記念碑を始めとする補修工事が始まりました。

平成15(2003)年

記念碑・塔屋の照明を含めて、構内の諸改修が完了しました。

改修後の獅子頭注水口
改修前の獅子頭注水口

※現在、水道局職員以外は給水塔に上ることはできません。

※注:名称について、開設当初より東京市に移管後も「駒沢給水場」でした。いつ「駒沢給水所」に変わったかは不詳です。

改修が終わり、塔頂やトラス橋のグローブも復活(2号塔《北側》より1号塔《南側》をのぞむ)